自分の「好き」を昇華するという事

2008年11月05日/ ガンダム

昨日はオ・ウショ・オーで晩飯食ったのに
今日も家でオ・ウショ・オーのギョ・ウザ焼いて食べたガイア大魔王です





「店で食うより美味しい」が大魔王ギョ・ウザの自慢です



さて今週、刮目すべきはやはり創造主の言葉でしょう
僕自身が今一番あがいていて、しかしあがききれて居ない部分

とにかく好きなもので飯を食う、と言う一点において全く出来ていないし
そこの部分を見事に平手打ちされたと言うか
そろそろ目を覚まさなければいけないんだと気づかされたと言うか

もうオサーンのクセに自分がどこに居て何をするべきかにまだ迷っている

創造主の言葉で個人的に一番キたのは「ちょっと好き」は認めません。と言う言葉
自分の「好き」は常に色んな場所に分散している僕にとって一番キツい言葉です

本当にこだわってる人、
本当の好きを追いかけ続けている人、
自分の居場所を創造できる人

そんな人たちにここ数ヶ月で幸せな事にいっぱい出会えました
だからこそ自分はここに居て、また新たなものを目指したり
新たな場所を模索したり出来てる事は本当に幸せだけど

その分、自分の本当の「好き」の場所がどこなのかは逆に分かり難くなったかも知れません


でも今さら変えられない、と言うのも正直な所
残念ながら「ちょっと好き」の集合体が大魔王なんかな?
だからその集合体を大きくする事に掛けるしかないのかも知れんな、と

そんな事に気付かされた昨日の深夜でした



そしてその創造主の『11、12歳まで好きだったもの』と言う言葉に触発された
講談師、旭堂南半球さんのblogの言葉

そうなんですよね

まさに「サルの様にオナニーをする」と言う事が許されるのがこの時期
ズリネタやテクニックに振り回されずに本能の赴くままに出来る時期です

女のオナニーと言うのは内に内にと深く潜行していくもの
対して男のオナニーとは外へ外へと吐き出すもの

そんな気がします

もちろんどちらにも罪悪感が付きまとうんだけど
僕は男だから男の部分しか分からないけど
外へと発散すべきものを自分の中に潜めなければならない
その「いけない事」をしている自分に罪悪感を覚える

高校生や大学生になると同級生とそんな話しをして
「なんや、みんなやってる事なんか」と「そんないけない事やないんや」と
フと吹っ切れる瞬間がやってくると言うか

突然サルではないオナニーが出来るようになる(笑)



大仰な事を言うと人生ってのは壮大なるオナニーだと思うんですよ
人に認められようが認められまいが

結局はオナニーをやり続けなければならないんだけど
大人になると色んなしがらみや周りに気を使いながら
それでも苦痛を感じながらも辞める事は出来ない

11~12歳、さらに15歳くらいまでは
もちろん生活環境や家庭環境にもよると思いますが
世間のしがらみや自分が求める求められるに関わらず
自由にオナニーして、そして自由に罪悪感を感じれる

その頃に感じた物を大事にするってのはある意味すごい事です
しがらみが出来た大人になってその頃のオナニーを思い出して
新たなるオナニーを出来る大人の事をクリエイターと言うのかも知れませんね

そう言う大人に自分がなれるかどうかはまだ分からないけれど

人とは違う壮大なオナニーをどっかでやり切りたいなと思った一日でした





  


Posted by 大魔王 at 17:08Comments(5)

まだまだだな

2008年11月05日/ オタ電



うちのblog程度がランキング48位とは

オタ電もまだまだだな(≧▽≦)




  


Posted by 大魔王 at 09:30Comments(0)