あれから16年

2011年01月17日/ 徒然

阪神大震災のあの日、僕は25歳の小僧だった
16年経って僕は今41歳の小僧になった

あの日の前後は京都で旅ロケの真っ最中
朝の集合が結構早くて自分の部屋で眼が覚めた頃
部屋がグラリと揺れた

結構な大きい揺れだったけれど
京都の端っこのうちの被害はリビングのテレビの上に置いてあった
ガラスの時計が落っこちた事だけ

それも壊れたわけじゃないしね

テレビをつけたら見慣れた某局の報道ルームが映ってて
知り合いのディレクターの机が散乱してるの見て

あぁ片付けるの面倒やろうなぁ、とぼんやりと思った


京都の事務所に集合してロケはスタート
観光地やお食事する場所などいろんな場所を回るが
ロケをご協力してくれる筈の皆さんの表情が微妙

片づけがあるので、と断られたりした

そう、その時僕らクルーは全く知らなかったのだ
神戸がまさかあんな事になってるなんて微塵も

当時はまだ携帯電話もみんな持ってなかったし
ロケ中テレビも見ない、ロケ車のラジオは付いてたけど
正直あそこまでの惨状を想像出来る感じではなかった

14時ごろ遅めの昼飯に入った食堂のテレビで初めて見知った

しかも最初に倒れた阪神高速を見たとき
こんな時間からSF映画でも放送してるのかと変に納得し
そしてそれが現実の映像だと知って驚愕した


しかし本当に驚愕したのはそれからも続いた京都ロケ

正直こんな旅ロケ放送出来る日が来るンやろうか?
と疑問を持ちながら、でもやめる事は出来ない

恐らく東京から来ていた製作チームも
片隅ではそう思いながらやってたんちゃうかなぁ?

と言うかせめて疑問を持ちながら
こんな今現在こんなロケに何の意味もないと
気付いて欲しい、今でもそう思う



僕はその後旅ロケが終わった後
数日後から神戸に入り一ヶ月以上神戸に行く事になる

いろんなクルーの間をたらい回し(^_^;)

ロケから中継まで瓦礫なの中を報道する事に関わった


関西のクルーはみんな知り合いではなくとも
被災者の方々はご近所さんのような感覚

ただ関東や他からやってきた制作メンバーは
かなりその瓦礫や瓦礫の中の生活を

“取材対象”としてしか思ってなかった気がする
もちろんそうじゃない人もきっといたのだろうけど
僕にはそうとしか思えない人の方が多かった

まだ亡骸が埋まってるかも知れない瓦礫にズカズカ入っていったり
「もっと盛大に壊れてる場所ないですかねぇ、そっち撮りたいですね」
とか言ってみたりするディレクターに関わって

正直自分の中で報道に対する疑問が相当に流れ
テレビに関わって生きて行く事を諦めかけた時期だった

当時はまだバイト君だったからホンマに辞めようと思ったけれど
結局今も同じ場所に立っている


勿論立ち居地も当時とはすっかり変わってしまったし
前以上に報道に関わる事がなくなってホッとしているけど

これからも関わる事になるかも知れないからね


決してなぁなぁになる事無く
でも取材する側と取材対象と言う無機質な関係でもない

所詮テレビは作り物だけれど
良い関係を構築しながら作って行く事が出来たら

そんな事を思う震災の日











タグ :阪神大震災

同じカテゴリー(徒然)の記事画像
現代のゴーストタウン、ピエリ守山
今年もヨロシク
晦日ス
岡本太郎を感じる東京弾丸ツアー
IKEAに初潜入
フォンブラウンの爪あと
同じカテゴリー(徒然)の記事
 現代のゴーストタウン、ピエリ守山 (2013-09-12 21:11)
 早いものであれから一年 (2012-07-17 23:29)
 今年もヨロシク (2012-01-01 00:47)
 晦日ス (2011-12-31 05:32)
 岡本太郎を感じる東京弾丸ツアー (2011-12-22 21:38)
 IKEAに初潜入 (2011-12-07 11:42)

 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。